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発売延期のお知らせと薔薇SS [SS]

4月30日発売の「花嵐の血族」ですが5月11日に
発売延期になりました。
緊急事態宣言が出て書店も多く閉まっているのでね…。
こういう事態なので、もう少々お待ちください。

皆さん元気にお過ごしでしょうか。
私はもともと犬の散歩以外は外に出ない
ひきこもり体質なので以前の生活と
なんら変わりなく…。
ただ愛用のネットスーパーが混み混みで使えないのが
困るくらいですかねー。

家にいて暇な方のために
薔薇のSS置いときます。
これはリアルに薔薇をやってた頃から
毎年ずっとラウル宛てにバレンタインのチョコをくれる
奇特な読者さんがいらっしゃいましてそのかたのために
書いたSSです。今年チョコくれた他のかたにも
コピー本作って配ってみました。
たまに薔薇の続きが読みたいと言ってくれるかたも
いるのですが、昔のシリーズって当時の心境に戻るのが
難しいですねー。

というわけでどうぞ↓
コピペしてはっつけたので見づらいかも。
薔薇のその後みたいな。

「ホワイトデー」


 父の屋敷に住み始めて一年が過ぎた。啓の父親のエリック・クロフォードは薔薇騎士団の総帥であり、貴族の出だ。遺産として残された父の屋敷を改築し、今は啓が信頼する仲間と暮らしている。
 信頼する仲間の一人目はラウル・リベラーニ。赤毛の長い髪をゆるく束ねた、二メートル近い大男だ。整った甘い顔立ちをしていて、典型的イタリア人らしく、陽気で細かいことは考えない性格をしている。啓にとっては仲間であり、恋人であり、自分の身を守る《守護者》でもある。
 二人目はアシュレイ・マコーレー。銀縁メガネの神経質で世話焼きの男で、啓の教育係だ。
 三人目は雄心。特殊な能力を持つせいで他人と会話が困難な男だ。雄心がしゃべると聞いている人は具合が悪くなる。啓だけは平気なので、雄心は啓に心を寄せている。
 そして忘れてならないのが、啓の愛犬、ドーベルマン・ピンシャーのサンダーだ。死地を一緒に潜り抜けてきた、啓にとっての相棒だ。
 それから一緒に暮らすというには語弊があるが、地下室には啓の愛するもう一人の《守護者》が眠っている。レヴィン・バーレイ。金髪に青い瞳のレヴィンは《不死者》として長い時を過ごしてきた。今は人間に戻るべく、地下室で眠り続けている。
 以上五名と一匹で父の屋敷で暮らしているのだが、実はもう一人住む権利を持っている人がいた。――啓の母親である、マリア・クロフォードだ。
 マリアは神出鬼没だ。
 事前に来るという連絡もなければ、次はいつ来るという約束もない。毎回ふらりと突然現れて、無表情のまま居座り、しばらくすると出て行く。
 今回もまさにそうで、ラウルと一緒に庭でバーベキューをしていたら、突然現れた。久しぶりに会おうが、数日ぶりに会おうが、会った時ににこりともしないのは母の特徴だ。
「お邪魔するわ」
 気づいたら庭にいた母にそう言われ、啓は食べかけの肉を噴き出してしまった。ラウルと馬鹿っぷるよろしく、お互いの口に「あーん」と言いつつお肉を食べさせ合っていた瞬間だったからだ。啓の吐き出した肉は、足元にいたドーベルマン・ピンシャーのサンダーがすかさずぱくりと口にした。もう二度と戻ってこないだろう。
「か、母さん! 突然!」
 庭に誰もいないと思ってラウルといちゃいちゃしていたので、啓は真っ赤になって寄り添っていたラウルを突き飛ばした。実の親の前でラウルといちゃつけるほど、メンタルは強くない。
「あ、啓のマンマ。久しぶり」
 ラウルは啓に押しのけられ、身体を捻じ曲げながら母にウインクする。母は無表情で啓とラウルを見やり、コンロの上でじゅーじゅーと音を立てている肉を見下ろした。
「啓のマンマも食べる? バーベキューは人が多いほうが楽しいからね! まぁ今日は特別な日だから、二人でやってたけど」
 母がコンロを見ているのは、羨ましがっているのだと思ったラウルが、気軽に誘う。
 今日の昼食はバーベキューにしたいと啓が言ったので、ラウルが食材を買い集めて、昼から庭でバーベキューを始めた。いつもならアシュレイや雄心、エミリーといった仲間を呼ぶのだが、今日ばかりは二人でやっている。
「特別な日……?」
 網に並んだ肉や野菜を見つめ、母が眉を顰める。今日は三月十四日、ホワイトデーなのだ。バレンタインデーに啓がラウルにチョコレートを贈ったので、そのお礼に何がいいと聞かれ、バーベキューがしたいと言った。
「これは俺から啓への愛の形なのさ。はい、啓のマンマ」
 ラウルは皿に焼けた肉を載せて、母に渡す。母はいつ会っても喜怒哀楽が分かりづらい。表情にまったく表れないのがその原因だ。今日も息子の家に突然現れたわりに、笑顔は一度も作っていない。そんな鉄面皮相手でも、ラウルの陽気さは変わらないのですごいと思う。
「……いただくわ」
 母は素直にラウルから皿を受け取り、焼けた肉を口にした。
 母はあまり食に興味がなく、こうして何かを食べている姿は珍しい。啓が興味津々で見つめていると、逆にじっと見返される。母はおそろしく整った顔立ちをしていて、人形のように美しい。時々精巧なアンドロイドではないかとすら思う。その瞳で見つめられると挙動不審になる男が多いともっぱらの噂だ。息子である啓ですら、その視線にどぎまぎして、警察に職務質問された犯罪者のようになってしまうのだ。
「あ、あの、母さん。半年ぶりくらいじゃない? あのさぁ、よかったら連絡先教えてくれると嬉しいんだけど。いつも、ここにいない時、どこにいるの?」
 気持ちが落ち着いたのもあって、かねてから疑問だった質問を口にした。スマホを持っているかどうかもよく分からないが、何か連絡手段があると有り難い。実の母親だというのに、向こうから現れるまで、連絡しようがないのだ。
「別に……。特に決めていないわ」
 母はもくもくと肉を食べながら言う。その後、しーんと場が静まり返り、啓はラウルの肘をついた。母はわざとではないのだろうが、場を凍りつかせる特技を持っている。ラウルと比べると、陰と陽くらい違う。母とはいえ、時々話が尽きてしんとしてしまうのが啓の悩みだった。しかも今、連絡先を教えてくれと言ったのに、華麗に無視された。
「啓、こっちも焼けたよ」
 ラウルは母の無言など全く気にならないらしく、陽気に肉を焼いている。啓が肘をつんつんしても、どうしたの? と笑うばかりだ。
「……急に来て、迷惑だったかしら?」
 母と弾む会話をするべく、あれこれ思いを巡らせていた啓に、ふいにぼそりと呟かれる。内心の気まずさが伝わったのかと、啓はぶんぶんと首を振った。
「いや、ぜんぜん! ってか、ここって父さんの屋敷だったし、母さんの家でもあるんだから、そんなの気にしないでくれよ! 俺だって本当はずっと一緒にいてほしいんだぜ!」
 啓が大声でまくしたてると、母の動きがぴたりと止まり、不可解そうな表情で見つめられる。足元にいたサンダーが、肉を欲しそうに母の周りをうろついている。
「ここはあなたの屋敷よ。自分の家と思ったことは一度もないわ。エリックが生きていた時ですら、ほとんど思わなかったくらいだし」
 母に思いがけない心情を明かされ、啓はびっくりして目を丸くした。啓が生まれた頃、父であるエリックはこの屋敷を購入して母であるマリアと暮らし始めた。《薔薇騎士》である父は正規メンバーが暮らす屋敷にいたのだが、ようやく母がプロポーズを受け入れ、子どもが生まれたこともあってここで暮らすと決めたらしい。
 その後、父が死に、母も姿をくらましたので、この屋敷は荒れて近所の人に幽霊屋敷と呼ばれるほどになった。それを啓がリフォームし、自分と信頼する仲間が暮らせる場所にしたのだ。と言ってもお金を出してくれたのは、亡き祖父だ。改築して元の面影は減ったかもしれないが、最初に住んでいた母から自分の家と思ったことはないと言われ、唖然とした。
「何でさ? ここは啓のパーパとマンマの屋敷だろ? 啓のマンマは変わってるね。好きな人といる場所が家、って認識なかったの?」
 ラウルは平然と母の心情に斬り込んでいる。啓は聞きづらかったので、内心よくやったと横にいる大男を褒めた。
「私は同じ場所に留まれないのよ。化け物と思われるから」
 母はラウルの質問にはすんなり答え、焼けたピーマンを齧っている。
《不死者》である父アダムと人間から生まれた母は、外見が変わらない。啓を産んだ頃を知っている人は、もれなく皆あの頃と変わりないと断言する。一応少しずつ老いてはいるようだが、ふつうの人に比べ、限りなくゆっくりと老化が進んでいるようだ。そのせいもあって、同じ場所にはいたくないのだろう。
「大丈夫だよ。今時の整形はすごい技術だって皆思うだけだから」
 母の重苦しい悩みは、ラウルにとってビールのつまみくらいにしかならないようで、陽気に笑ってドイツビールを傾けている。傍にいる啓は母が怒らないかハラハラしたが、母はラウルに感心したようだ。
「あなた、ずいぶんレヴィンとは性質が違うのね」
 ラウルに瓶ビールを渡され、母が首をかしげる。
「よく言われる。俺が太陽ならあいつは月、だろ?」
 皮肉っぽくラウルが笑い、啓はラウルの代わりにコンロの上の野菜を引っくり返した。
「――ところで、ホワイトデーって何?」
 母に聞かれ、啓は新しい肉を網に並べた。
「あ、そっか。これって日本の風習なんだよな。ラウルも最初、知らなかったもんな。日本だと、バレンタインデーに女性から男性にチョコを贈る習わしがあるんだよ。そんでホワイトデーには男性がチョコをくれた女性にお返しをするんだ」
 啓の説明に、ふうんと気のない返事が戻ってくる。
「……父さんとバレンタインデーとか、どうやって過ごしたの?」
 つい興味が湧いて、啓は身体を揺らしながら聞いてみた。母が頬を染めている姿は想像できないが、二人のラブラブなエピソードがあったら聞きたい。
「エリックは抱えきれないほどの真っ赤な薔薇を贈ってくれたわ」
 さらりと母が言い、啓はのけ反って「くぅ!」と叫んだ。
「啓のパーパは情熱的だね。啓もお望みなら、贈るけど?」
 ラウルに目配せされて、啓は急いで首を振った。
「や、俺、そういうの痒くなるから! こういうほうが嬉しいし」
 バーベキュー台を指して、啓は笑う。
「んー。俺の恋人は、花より肉かぁ」
 トングを持つ手で肩を抱き寄せられ、頬に音を立ててキスされる。母の前では恥ずかしいからやめろとその胸を押し戻した。
 野菜と肉を交互に口に入れ、和気あいあいとしたムードでバーベキューは続いた。もっぱらラウルと啓がしゃべってばかりだったが、珍しく人並みの量を食事する母の姿が見られたので啓は嬉しかった。ふつうの親子とはかなり違うが、やはり母といると心が浮き立つ。
「……えっと、レヴィンはまだ、起きない」
 ラウルが席を立った時に、啓は母に報告した。レヴィンは母の血を飲んで、深い眠りについた。次に目覚める時には、人間に戻っているという希望を抱いて。
 啓にとってレヴィンの様子を見に行くのは日課となっている。地下室はレヴィンの指紋で扉が開くようになっているので、レヴィンが目覚めれば自分で出て来られるのだが、朝になるともしかして起きているかもと期待して地下室に下りている。時々現れる母には、一応報告しておいた。
「そうでしょうね。ギルバートもまだ目覚めないし」
 母にさらりと言われ、啓はびっくりして身を乗り出した。
「ギルバートの所在を知ってるのか!?」
 ギルバート・ベアズリーは《薔薇騎士》であり《不死者》でもある男だ。アダムとの闘いにおいて、敵側に回り、啓たちを翻弄した。そのギルバートは母の血を飲み、深い眠りについた。だがその後、行方をくらましてしまい、啓たちは所在を知らない。まさか、母が匿っているのかと、啓は絶句した。
「あの男なら、信頼できる場所に隠してあるわ。時々見に行ってみるけど、状態に変化はないわね」
 母は何でもないことのように言う。ギルバートはレヴィンより先に、母の血を飲んだ。そのギルバートが目覚めないなら、レヴィンもまだだろう。
「何で……。前から聞きたかったけど、母さん、あの男、好きなの? あの男が母さんに気があるのは知ってるけど、母さんも?」
 啓は胸のもやもやを解消すべく、思い切って母に尋ねた。母が父を深く愛していたことは知っている。未だにその心が冷めていないことも。けれど、父が亡くなってもうだいぶ経つ。本来なら母が別の相手を求めるのを止めてはいけないと分かっているが、相手が問題だ。ギルバートは数度会っただけだが、ひょうひょうとしているというか、誠意とか実があるのかどうか疑わしい。母にはもっと誠実そうな相手を見つけてほしかった。
「好き? 馬鹿ね、啓」
 ふいに母が唇を歪める。珍しく表情に感情が表れた。
「私は《薔薇騎士》とか《守護者》とか、能力者は嫌いなの。あなたのことは愛しているけれど、《薔薇騎士》の部分だけは好きになれないわ。まぁギルバートは《守護者》ではないから、マシだけど。この世で一番嫌いなのは《守護者》よ。エリックに群がる彼らは全部死ねばいいと、ずっと思っていたわ」
 辛辣なセリフが次々と口から出てきて、啓は顔を引き攣らせて固まった。運悪くラウルが戻ってきて、「ワオ」とたじろいでいる。
「啓のマンマは俺のことも嫌いだったの? てっきり好かれていると思っていたよ!」
 どこまでも自分に自信があるラウルが、嘆かわしげに天を仰ぐ。
「どの辺に好かれている自信があったんだ?」
 啓がつい小声で突っ込みを入れると、「声かけると無視されないから」とラウルが胸を張る。確かに母はレヴィンに対してはそういう態度をとるが、ラウルには無視はしない。
「今のはジョークよ。エリックに群がる《守護者》はほとんど死んだしね」
 母が唇の端を吊り上げて笑みを浮かべた。ジョークというが、本当だろうかと疑惑を持ってしまう笑みだった。
「三日ほど、泊っていいかしら」
 腹が満ちたのか、母はそう言って皿を置いた。
「もちろん!」
 啓が意気込んで答えると、かすかに微笑んで、母が屋敷の中へ入っていく。母の姿が見えなくなり、無意識のうちに肩を落とした。
「啓、マンマと会うのに緊張してるの?」
 不思議そうにラウルに聞かれ、啓は頭を掻いた。
「うーん、時々どう接するのが正解か分かんなくなっちゃうんだよなぁ。俺の周りにいなかったタイプだし、あの目でじっと見られると降参したくなるというか。父さん、すごいよね。あの母さんを口説くなんて。ラウルだったら、口説ける?」
 白い椅子に腰を下ろし、啓はからかうようにラウルに聞いた。あらかた食べつくし、お腹はいっぱいだ。ホワイトデーのお返しなので、今日はラウルがセッティングから片づけまでやってくれる約束になっている。
「俺は気のない相手は追いかけないから」
 ラウルはあっさりと言う。
「ホントかよ。俺だって気はなかったぞ」
「嘘。啓は俺を一目見て好きになったはず。目を見れば分かるよ」
「そんなわけねーだろ。俺は会った頃、ちゃんと女の子好きだったし」
 消火活動をしているラウルと軽い言い合いを続け、啓はラウルと出会った頃を懐かしく思い出した。まだ何も知らなかったあの頃、もうずいぶん昔に感じる。
 久しぶりに母が戻ってきたのだし、少しは仲良くなれるといいのだが。そんな期待を抱いて、ラウルの片づけを手伝った。



 夜になると出かけていたアシュレイと雄心が戻ってきて、母と一緒に夕食をとった。雄心は母が好きなので、来てくれて嬉しそうだ。
 母はいつも一階の端にある小部屋を使う。もっと広い部屋を使っていいと言っているのだが、そこが落ち着くと言って譲らない。
 風呂を済ませてパジャマに着替えて自室に戻ると、啓の部屋のベッドにはすでにラウルがいる。啓より一足先にシャワーを浴びたくせに、まだ湿った髪で、ごろごろしている。一応啓の両隣の部屋はラウルとレヴィンのものと決めているのだが、ラウルはほとんど啓の部屋にいるのであまり使われていない。
「もうラウル。髪、乾かせよな」
 赤毛が濡れたままなのを見逃せず、啓はドライヤーを持ってベッドにいるラウルの背後に回った。寝転がっていたラウルが起き上がり、にこりと笑う。
「啓がやってくれるの、好きだからさ」
 長い赤毛を乾かす啓に、ラウルはご満悦だ。風邪ひいても知らないぞと文句を言いながら、啓はラウルの髪を乾かした。ラウルの髪は濡れている時は少し黒く、乾かすと艶めいた赤毛に変わる。自分は似合わなさそうなので髪を伸ばしたことはないが、ラウルの長い髪は似合っていて好きだ。
「ねぇ、啓。何でマンマと会う時、ハグしないの? キスもしないよね?」
 ドライヤーの音にまぎれて、ラウルに聞かれる。
「俺は日本暮らしが長かったから、そういうのはしないんだよ。まぁされたら、するけど。母さんもしてこないし」
 イタリア人のラウルから見ると、啓と母はそっけない親子関係に見えるらしい。自分が母とハグしてキスする図を想像してみたが、何故か背筋を冷たいものが通り過ぎただけだった。母はそういう愛情の示し方はしない気がする。
「でもノンナにはハグするじゃない」
 ラウルに指摘されて、啓はうっと口ごもった。言われてみれば、日本にいる啓が世話になった奈美とは、会うたびにハグをする。
「……できた」
 啓はドライヤーを止めて、そそくさとベッドの中に入った。ラウルの髪を乾かしたので、もう寝ようとしたのだ。それを逃げととったのか、ラウルが上掛けを引っぺがしてくる。
「啓、話の途中」
 呆れ顔で覗き込んでくるラウルの首を引っ張り、ベッドの中に引きずり込んだ。思わず笑ってしまうラウルにくっつき、匂いを嗅ぐ。ラウルの身体は暖かくて、生きているのを実感する。
「ケーイ、ごまかす気?」
 ラウルの脇腹をこちょこちょしていると、洗い立ての髪の毛をぐしゃぐしゃにされて言われた。
「俺と母さんはちょっと時間かかるんだよ。でもお互い愛してるから大丈夫」
 ラウルの胸に耳を当て、啓が囁く。仕方なさそうにラウルが吐息をこぼし、啓のこめかみや頬にキスをする。
「あ、こら。今夜は駄目だぞ」
 ラウルのキスが首筋に移り、甘い雰囲気を漂わせてきたので、啓は急いで襟元のボタンを閉めた。
「何でさ。愛し合ってから眠ればいいよ」
 当然のように言って、啓のパジャマの上から尻を揉む。その手を払いのけ、啓は「動いちゃ駄目!」と命令した。ラウルの動きが止まり、眉根を寄せて軽く睨まれる。
「母さんがいる夜は駄目だって、何度言えば分かるんだよ。俺は恋愛オープンなイタリア人とは違うの! 今夜は静かに寝よう。第一昨日もその前も、その前の前もしただろ!」
 変な場所に移動しようとしていたラウルの手をまっすぐに伸ばし、啓は上掛けを引っ張ってベッドに横になった。
「イタリア男は毎晩だって愛する人を満足させるもんさ」
 ラウルは嘆かわしげに首を振る。
「俺は十分満足してる」
 啓は宥めるようにラウルの頬にキスをして寄り添った。残念そうにラウルが子守唄を歌い始め、啓は笑ってそのまま眠りについた。



 朝が来ると、啓は朝食の前に地下室へ下りる。この屋敷では食事は当番制になっている。時々使用人をやとって家のことをやってもらうが、基本的には自分たちできることは自分たちでしている。今朝はアシュレイの食事当番だからあまり味に期待はできない。
 地下室の扉を開けて薄暗い中に入ると、ベッドに金髪の青年が眠っている。近づいてそっと覗き込んでみたが、その姿は昨日と遜色ない。ギルバートがまだ目覚めていないように、レヴィンも身じろぎ一つしない。もう一年もこのままだ。啓もラウルも一つ歳を重ねてしまった。
「早く起きろよ、眠り姫」
 啓は声をかけ、レヴィンの頬に触れた。頬は温度を持っているが、啓が触れても反応はない。今日も駄目かとがっかりして、屈み込んで口づけた。
「――いつもそんなこと、しているの?」
 ふいに背後から冷ややかな声をかけられ、啓は飛び上がって驚いた。振り返ると、母が扉のところに立っている。
「だから! 突然!」
 あまりにびっくりしたので、心臓が口から飛び出るかと思った。母には気配がなくて、いつの間にか背後にいたことに気づかなかった。啓が真っ赤になって硬直していると、平然とした表情で啓の傍らに立つ。
「ねぇ。目覚めなかったら、どうする気?」
 母はレヴィンの端正な顔を見下ろし、抑揚のない声で聞く。
「どうするって……どうもできないし、信じて待ってるだけ、だろ」
 母のレヴィンを見る目つきが怖くて、啓はこわごわとにじり寄った。母とレヴィンは父が生きていた頃いろいろあって、犬猿の仲だ。啓のためにレヴィンに血を分けてくれたが、今でも殺意を持っているのではないかと不安だ。
「……私の血が、こんな力を持っていると知っていたら、エリックも生き返らせることができたのに……」
 レヴィンを凝視する母の顔が歪んだと思うと、憎々しげな声が美しい唇から漏れた。啓は息を呑んで母の燃える瞳を見つめた。
「母さん、それは……」
「知っていたら!」
 母の声が急に甲高くなり、握った拳がぶるぶる震えた。母は未だに父のことに関すると、激高する。何十年経っても、心に残った傷は癒えないのだ。愛する人を失うとこうなってしまうのだと啓は胸が苦しくなった。
 啓は無意識のうちに母を背中から抱きしめていた。ハッとしたように母が握っていた拳を弛め、怒りを和らげる。母を抱きしめて、その身体が自分より小さいことに初めて気づいた。女性だし、当たり前だ。
「母さん、俺だって何度もそう考えるよ。母さんの血があったら、今まで殺さなければならなかった人たちを殺さずにすんだんじゃないかって。でも、起きてしまったものは取り返せない。そうだろ」
 啓が耳元で囁くと、母の手が啓の手に重なった。
「……そうね。私が愚かだったのよ。自分の生まれを卑下するばかりで、それを深く知ろうとしなかった」
 母がするりと啓の腕から離れる。母のぬくもりが消えるのを寂しく思いながら、啓は手を離した。
「ごめんなさい。時々感情が抑えられなくなるの。ふだんは何も感じないのに、変よね」
 母が地下室を出て行こうとするので、啓もその後ろにくっついていった。扉を閉め、階段を上がる。一階に出ると明るい日差しが屋敷の中に降り注いでいた。リビングからパンケーキの焼けるいい匂いがする。
「おはよう。今日は俺が腕を振るうよ」
 食事当番はアシュレイのはずだったが、キッチンからパンケーキの山を運んできたのはラウルだった。人数分の皿にパンケーキを重ね、木苺やブルーベリー、バナナやリンゴといった新鮮な果物を添えて、はちみつをたっぷりかける。足元ではサンダーが小麦が焼けるいい匂いに舌なめずりをしている。
「美味しそう!」
 ダイニングテーブルは大きめで、五人が腰かけても十分な広さがある。匂いにつられたのか雄心が起きてきて、母を見て嬉しそうに微笑む。アシュレイは人数分のコーヒーを淹れている。
「ラウル、あなた地下室にいる彼を殺したくなる時はないの?」
 朝の爽やかな光の中、母はパンケーキの皿を目の前に置いたラウルに、とんでもない質問をしている。啓はハラハラしたが、ラウルは気にした様子もなく肩をすくめている。
「啓のマンマは物騒だな! 一生目覚めなければいいと思うことは三日に一度くらいあるよ」
 明るく笑うラウルに「意外と頻繁だな!」と啓は顔を引き攣らせた。
「でも三日に一度は早く目覚めればいいと思っている。あいつは死地を乗り越えた仲間だからね」
 ラウルに微笑みながら言われ、啓はじーんと胸を熱くさせた。
「残りの一日は何を思っているのですか?」
 アシュレイが気になったように割り込んでくる。
「三十年後くらいに奴が目覚めたらどんな顔をするかなって。五十代の啓を愛せたら、あいつの愛を認めるよ! あ、もちろん、俺は白髪になっても啓一筋さ。啓は歳を取ってもきっと可愛いからね」
 三十年後の話をされ、啓はつい噴き出してしまった。白髪になったラウルを想像してみたが、どう考えてみてもかっこいい気がする。
「こんな話をすると啓のマンマに羨ましがられるな。――ねぇ、マリアって呼んでいい?」
 人数分のパンケーキを並べて啓の隣に腰かけると、ラウルが首をかしげる。なんて大胆な、と思ったが意外にも「いいわ」と母が了解する。
「あなたはただ明るいだけの人じゃないから、けっこう好いているの。いつも息子の傍にいてくれるし」
 優雅な手つきでパンケーキを切り分け、母が言う。ラウルの長い腕が啓の肩にかかり、髪にキスされた。さすがにもうやめろとは言えなくて、啓はラウルに軽くすり寄った。母はラウルという人間を見抜いている。ラウルの過去など話したことはないのだが、感じ取っている。
「じゃあマリア。ずっとここにいたら? 啓とはぜんぜん一緒に暮らせなかったんだろ? 今から親子関係を一から始めるってのはどうかな?」
 ラウルの提案に母のナイフが止まった。啓はドキドキして固まり、アシュレイと雄心は穏やかな目つきで見守っている。啓の知らぬ間に三人は話し合ったのかもしれない。母を迎え入れるべきなのではないかと。
「……私にはそんな資格はないわ」
 急に食欲を失ったように、母はナイフとフォークを皿に置いた。
「私は文也たちに感謝しているの。私が育てていたら、啓はこんな明るい子には育たなかった。今さら母親面する気はないわ」
 淡々とした声で母に言われ、啓はずーんと落ち込んだ。断るだろうなと思っていたので、ショックは大きくないが、母と自分の間にはやはり深い溝があるのだと悟った。
「マリアは啓が嫌いなの?」
 ラウルはずかずかと微妙な部分に斬り込んでくる。横で聞いている啓が動揺する質問を、平気で聞く。
「愛しているわよ」
 母が当たり前のように答えてくれてホッとした。母の愛情を疑ってはいないが、啓と違いいろいろとねじ曲がっている部分を持っているので心配だったのだ。
「じゃあ一緒に住みなよ! きっと楽しいよ! 男ばかりでむさくるしいかもしれないけど、たまにエミリーも来てくれるしね」
 ラウルはあっけらかんと言って、パンケーキを頬張る。母がなおも言い募ろうとすると、母のパンケーキにはちみつをじゃんじゃんかけてくる。
「マリアは難しく考えすぎさ。朝起きたら、啓とハグしてキスして、それで万事丸く収まる」
 母の言い分は全部吹っ飛ばし、ラウルは満面の笑顔で断言する。さすがの母も怒るのではないかと思ったが、意外にも呆れた顔つきで笑いだした。こんなふうに笑う母は初めて見た。声を立てて笑うなんて、母にできたのか。
「びっくりしたわ、それ――エリックも同じこと、言っていた」
 目尻に浮かんだ涙を指先で拭って、母が目を輝かせた。当時の状況を思い出したのか、今まで見たことのないほど美しくきらめいている。おそらく母は父と話す時、他の人には見せない柔らかな表情になったのだ。
「啓のパーパが?」
 ラウルが興味深げに身を乗り出す。
「私がプロポーズをずっと断っていて、あなたの奥さんになんて無理だって言った時――難しく考えることはない。朝起きたら俺とキスしてハグしてくれれば、それだけでいいんだって。あなた……少しエリックに似ている」
 母がじっとラウルを見つめる。慌てて啓はラウルの腕を掴み、自分に引き寄せた。
「これは俺のだから!」
 啓が強めの口調で言うと、ラウルがはにかんで笑う。
「ワオ。ごめんね、俺は先約があるから」
 啓の主張を嬉しそうに聞きながら、ラウルがウインクする。
「あの……よかったら、歓迎します。啓の母親であるあなたには、いろいろ聞いてみたいこともありますし」
 咳払いしてアシュレイが声を挟んでくる。
「啓のママ……一緒」
 雄心もこくりと頷いて言う。
「母さん、俺もいてほしいよ。俺たち、ちょっと親子にしてはぎくしゃくしてると思うからさ。一緒に住めば、壁みたいなもんが消えるんじゃねーかなと……」
 啓も思い切って自分の気持ちを打ち明けた。母は意外そうに啓を見つめ、小さく笑った。
「いいの? 長く住んでいたら、ある日レヴィンの首を絞めてるかもしれないけど」
 口元に笑みを浮かべ、母が本気か冗談か分からない言葉を口にする。つい固まってしまった。冗談だろう。冗談に違いない。……多分。
「私のジョークってどうして、皆が凍りつくのかしら」
 心底理由を知りたいと言わんばかりの顔で母が呟く。
 母にはもっと分かりやすいジョークを言ってもらいたいと願うばかりだった。

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